異質を受け入れるとはどういうことなのか。
先日、あるドキュメンタリー映画祭を見る機会に恵まれ、数多くの作品に出会った。
普段接することのない人々。。
路上生活者。
靖国祭祀遺族。
戦争で故郷を離れなければならなかった人々。。
現状の社会でどう自立して生きるか模索する身体障害者のお姉さん。
それぞれの人々にそれぞれの人生があり、それぞれの価値観があった。
そしてそれは、実際に私たちの社会に住む人々の物語であった。
そして僕は僕自身に存在する心理的な防壁の存在を知った。
その防壁はとても硬く、頑固で、それでいて臆病だった。。
世の中に存在する物事をただ「記号」としてとらえ、その奥行きに目を届かせる努力を怠っている自分を知ってはいた。
でも一方で、そういう自分に挑戦したい自分も内在しており、その戦いだけは続けていかなければいけないとも感じていた。正直あきらめることもあった。。
でも、今回の映画祭や本を通して、自分とは違う境遇で、それぞれの生活を営んでいる人々に遭遇することで、僕は刺激を受け、またはそこに横たわる問題に思いをめぐらす機会を得ることができることも事実である。
そういった意味で
A2という、オウム真理教の日本社会での位置や彼らの人物像を描いている作品は、とても衝撃的だった。
僕はオウムの人々を、どこか異常でいわゆる普通の人々(この言葉遣いも怪しい)とはまったく違う人々だと思ってきた。
しかし、彼らはある宗教の教えを忠実に貫いているだけで、僕たちとなんら変わらない「人間」であった。
マスコミで報道されているような「すべてが異質、異常であり違う世界に属する人々」といったような印象は受けなかった。
ただ、彼らが属する団体がテロを起こし多くの犠牲者を出したことは事実である。
住民が強制退去を迫るのも無理はないと思う。
でも、この映画が僕らに問いかけたのはそのような細微な実際的事柄ではなく、人間への挑戦であるように思った。
彼らと共生できるのか。社会は彼らを赦すのか。もっと言えば、異質な存在を、国家は、社会はどう捉えていくのかという問題にも立ち入っているようにも思った。
映画のことを考えたとき、
「殺人鬼も聖者も凡人も共存するしかないんですね」(ミスチル)
というフレーズが頭を離れなかった。
僕は以上のようなことまで思考を巡らせてみた。
しかし、村上春樹氏がA2について述べていた感想はさらに思考の森の奥深くに突き進んでいた。
「日本の社会が共生を求めたとする。では、果たしてオウム側は共生を求めるだろうか?」
村上氏は、「ノン」だとする立場であった。僕はそこまで考えが及ばなかったのが正直なところである。
そういえば、彼らは現世に存在する我々や日本社会を、どこか遠くの目から俯瞰するような態度で捉えていたような印象であった。対話はしているが、どこか現実感がない。自分達のコミュニティーの価値観を絶対視しすぎるような印象を受けなくもなかった。
社会を土台としてその上にオウムという一軒の家が建っているのか。
それとも、オウムを土台として、社会という一軒の家が建っているのか。
う~、頭がこんがらがってきた。
いずれにせよ
毎日の紙面に相変わらず「殺人」の文字が踊るように
自分の命を犠牲にして他人の命を救う人がいるように
殺人鬼、聖者、凡人、共々が活躍する。それが私達の属する社会である。
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